テーマ:エッセイ
小説「門」について
―わたしの漱石ノートより―
野口忠男
江藤淳を始めとして、多くの評論家が、漱石の数ある作品の中で、「門」は失敗作であると断じている。だが果たしてそうであろうか。少なくとも、当の漱石自身は失敗作だとはどこにも記してはいない。
ところで、この作品で作者は一体何を書こうとしたのだろうか。
明治四十一年(一…
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軍都さがみはらの神社
〜よすがをあつめた場所〜
西牟田 希
(編集者・ライター養成講座18期生Bクラス)
受験生の守り神
除夜の鐘を聞くともなく長い列ができている。
白い息をついで手をすりあわせるのは受験生とその家族たちだ。
神奈川県相模原市にある、小田急相模原駅前に二宮尊徳を祀った二宮神社が…
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レポートエッセイ
からだでする「会話」
〜「空気」から「からだ」へ〜
西牟田希
『自分の話』しかできないひとたち
「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」という本がある。
手に取った方はがっかりされたかもしれない。
「自分の話ばかりする人」…
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小説「こころ」について
―わたしの漱石ノートより―
野口忠男
「こころ」は、夏目漱石の小説の中で、作者の心の暗部をあらわしたものとしては最も高い位置にある作品と思われる。
作者自身の心の不安は、「三四郎」「それから」「門」「行人」と書き進むにつれ、明治、大正の日本社会の近代化への歩みと逆…
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エッセイ
七本足の蜘蛛
瑠璃子
2007年エッセイ賞優秀賞受賞
「しかしこれもまた真実である」
作家ティム・オブライエンは短編小説『死者の生命』でつづっている。
「お話しは我々を救済することができるのだ。私は四十三歳で今では作家になっている。それでもなお、今まさにこうして、私は夢の中でリンダを生…
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エッセイ
生老病死
深谷巖
2006年度エッセイ大賞受賞
その1 おれも同じさ
二〇〇四年暮れの三十一日、突然、床が左下方に流れると感じた。
はっとして天井を見ると左窓の方に流れている。とっさに「地震だ」新潟沖からこちらに来たのか、と思ったときガックンとソフアに倒れた。
後頭部に重さを感じたが…
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エッセイ
辻先生のこと
野口忠男
「自分には師はない。この世で出会うすべての人、すべてのものが師である」
たしか、宮本武蔵がこのようなことを述べていたと思うが、私にも、残念ながら、恩師と呼べるような、特別に薫陶を受けた方はいない。しかし、幸いなことに、この方からは大切なことを教わったと思える人は何人かいる。辻清先生もその一人…
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エッセイ
どこへ還るか
北村獣一
2006年度エッセイ賞優秀賞
家に帰る途中で、駅前で歌っている三人組を見かけて立ち止まりました。
一人はニット帽をかぶってギターを弾いている男の子で、少し長めの髪と無精ヒゲが目につくその姿は、アジアを放浪している旅人のようにも思えました。それと対称的なのがパーカッションの男の子で、黒い短めのコ…
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エッセイ
ふるさと・ふところ
椎野安里子
2004年度エッセイ賞・優秀賞受賞
子どもの頃、街にはもっと「ヘンな人たち」がうろうろしていたような気がする。街全体がそんな人たちを温かくほったらかしていた。今は一見、整った街の中にこわいかもしれない人たちはうろうろしているかもしれないのだが。
小学生の頃、夏休みのほとんどの時…
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エッセイ
笑顔
深谷巌
元同僚のAはあまり笑わない男だった。仲間からは「口を開いて笑うと損するとでも思っているんだ、ろくにしゃべりもしない」などと陰口を叩かれていた。だが一緒に仕事を担当したとき、幼時に両親を失い、祖父に「男はあまりしゃべるものでない」といわれて育てられた、と彼から聞かされた。
また彼は中耳炎を患い耳が少し遠…
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エッセイ
今、気になること
深谷 巖
最近、「百年に一度の不況」という言葉を政府筋がさかんに口にする。私はこの言い方を聞くたびに納得出来ない思いを持つ。理由は二つある。
その一つはほんとに百年に一度のなどといえるのかということだ。いまから百年前(一九〇九)は明治四十一年である。現在がそれ以来の不況などど言えるのか。太宰治…
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エッセイ
ある願望
深谷巌
福島市にはこころ温かいものが二つあるという。それは七十年来、精根込めて手入し育て上げた花の山に道をつくり、無償で開放している花見山地区の花卉農家の人々と白鳥飛来地で永年世話をしている人たちである。馴れた白鳥が人間から手渡しで餌を食べたり、飛べない白鳥と人間との触れ合いが人々に感動をあたえてきた。…
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エッセイ
モチを買いに
深谷巌
2004年度エッセイ大賞受賞
モチを買いに
高円寺に住む娘の家に行った時のことである。
昼食に磯辺焼き風の餅を作るというので、調理には戦力外の私が高円寺駅わきの東急ストアに切り餅買いに出掛けた。
売り場のおばちゃんに「餅はどこにありますか」と聞いたところ、何か考えたような風をしたがやがて…
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エッセイ
黒猫
山本瑛二
(一)
わが家には、いつも黒猫がいた。それも、クロという名の雄猫にかぎられていた。
老いたクロが死ぬと、父がどこからか黒い子猫を後釜として貰いうけてくる。
曾祖父の代から、黒猫ばかり居たそうだから、わが家の守り神だと信じられていたのだろう。
二百年以上も続いたわらぶき屋根の古い農家だから、猫のほ…
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エッセイ
男はつらいよ・ふーてんの寅
野口忠男
06年ムービーエッセイ賞佳作
わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかいました。
姓は車、名は寅次郎、人呼んでふーてんの寅と発します。
これは、映画「男はつらいよ」の冒頭シーンで、渥美清の寅さんが必ず語るセリフです。
ところで、数ある寅さん映画の中で、…
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エッセイ
泰子の陸
岩井八重子
「円山町?」
配車係りの年配の男の顔がふっとゆるんだ。
小雨の降る十月半ばの夜だった。
雨合羽から老残の色香を漂わせ、
男は耳打ちするように私に囁いた。
「ブルガリの横入って、信号渡ってごらん。その裏が円山町だから」
目の前に磨き抜かれた東急…
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エッセイ
ふるさと
石川信一郎
ふるさとってどこにあるの。
わたしには、ふるさとは、ない。
小学校の校庭を横切ってゆく、土のないアスファルトの校庭。
両側に輪のように校庭をとり囲んでいる校舎、もう木造のものはなく、
すべて鉄筋コンクリート。
そしてだれもいない、秋の夕陽だけ…
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エッセイ
旅
野口忠男
「このご計画ですと、費用も大分かかりますし、日数も一日か二日余分になると思いますが……」
それでもいいのかという顔で係の女の子は、私の方を見ずに妻に声をかけた。
「それでも、決めたようにしたいんでしょう」
妻が私の顔を見て言った。
「ああ」
私も女の子の方を見ないで、妻に答えた。
ポスターには、にっ…
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エッセイ
イブスキのお兄さん
瑠璃子
その頃、多摩の一連の開発とともに、町田では大がかりな宅地造成が進んでいた。樹木は切り倒され、田畑は埋められて、焦土のようになった土地にカーポート付きの洒落た家が建ち並んだ。町田第五小学校には、二種類の生徒がいた。都心から郊外の新居へ越してきた裕福な家の子どもと、その子らが発散する華やかな…
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エッセイ
山崎先生へ
野口忠男
どうぞ十分にご養生なさって一日も早く皿皿にもどってきて下さい。
先生に何か書きなさい、という依頼がありましたので、思いついたことをとりとめなく書きます。
世を震撼させた神戸連続殺人事件とオウム事件では、
先生が「少年事件ブック」で書かれた酒鬼薔薇聖斗論とオウム真理教論が核心をついています。
…
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エッセイ
先生が倒れて
小泉八重子
先生が倒れて、報せを受けた久保さんが私に電話してきた。四月二十二日の教室が始まる二、三日前だった。先生は両耳が聞こえなくなり、両目が痛み、先週末に即入院の診断を受けたのだという。
「金曜日に入院て言われたらしいわ。それでね、先生は自分では脳腫瘍やて思うてはるみたい」
久保さんはまるで隣…
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エッセイ
入院羨望
篠山恒敬
先生が倒れて・・・・・・を書き出しにする文章を書くようにとのY女史からの通達文に面食らいつつ、したがって、今まさにそのようなモノを書き始めているのであり・・・・・・・。
とにかく、かなりパニクッているらしいY女史の思し召しでもあり・・・・・・でも緊急の励ましなら取り急ぎ皆で色紙に寄せ書き形式に…
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エッセイ
期待通りの教室だったのに
深谷巖
二千一年の十二月、新宿朝日カルチャーセンターから連絡があった。
私が参加していた「ドラマ教室」が新年度からなくなるという。
何と言うことだ、寒い日が続き福島から行くのも億劫なので、私は勝手に三月まで冬休みにしていた。
だがこれでは講師の山崎先生、受講生仲間の皆さんとも、
もう一…
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