テーマ:ひとを語る

追悼 斎藤晴彦さん

斎藤晴彦さんが亡くなった。 6月27日のお昼ころ、 自宅近くの路上に倒れていて病院に搬送されたが、 そのまま息を引き取られたのだという。 死因は心不全。 前日まで元気に稽古していらしたとか。 私の敬愛する俳優のひとりだったので、 寂しい気持ちである。 こういうとなんだが、 晴彦さんが舞台の上を歩…

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四谷シモン展 横浜のつぶやき

22日(6月)、 四谷シモンの人形展が開かれている 横浜そごう美術館へ行った。 足は、自家用車。 ナビのせいで高速を降りたあと迷う。 同じ迷うなら自分の目で迷ったほうが余程ましだ。 迷いを楽しめるから。ナビくん、君やめようかな(笑)。 横浜そごうに入る。 なんだ、目の前のこの汚い川は(笑)。 6Fへ…

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蟹江敬三さん 逝く

3月30日、 蟹江敬三さんが胃がんのため亡くなった。 あまりにも急なニュースに驚いた。 蟹江さん一家は誰もが羨むほど仲のよい一家だったので、 奥さま、長女栗田桃子さん、長男蟹江一平さんの 悲しみをお察しします。 蟹江さんとは一度だけ 舞台をご一緒させていただいたことがある。 トムプロの企画で、 私が「蟹…

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四谷シモンの身体は、四谷シモンのつくる人形の原型だ?

2月27日夜、 真希(石川真希)に誘われて、 吉祥寺のライブハウス「MANDA-LA2」へ行った。 お目当ては、四谷シモンと安保由夫の歌。 二人はいわばゲストで、 メインは清水一登、梅津和時、近藤達郎、 多田葉子さんによるクラリネット四重奏。 受付でパンフレットを見てはじめて知って、 え…

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花園神社の赤テントで唐さんと

「漱石の道草」を観にきてくださった三反崎さんから めちゃ嬉しいプレゼントをいただいた。 唐(十郎)さんと一緒に写っている写真だ。 今年(2013)の6月、 唐組の花園神社公演千秋楽に赤テントで 三反崎さんが撮った写真である。 40数年もの長いこと、唐さんとお付き合いしているのに、 唐さんと一緒に写っている写真が…

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すまけいさんのご冥福をお祈りします

12月7日、 私の大好きだった俳優のすまけいさんが亡くなった。 享年78歳。 心からご冥福をお祈りします。 洋子さんの哀しみを思うとほんとうに胸が痛い。 近年は私の大好きだったひとたちの訃報に接することが多い。 死は自然の流れで受け入れなければならないとわかっていても 淋しいかぎりだ。 山崎哲

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吉本隆明さん - 逝去一年の会

3月17日の日曜日 竹橋の如水会館・オリオンホールで 「吉本隆明さん-逝去一年の会」が開かれ出席をした 開会の辞を述べる神山睦美さん(批評家) 吉本さんの詩を朗読される福島泰樹さん(歌人) 安保闘争のころの吉本さんとの思い出を語る三上治さん(批評家) 閉会の辞を述べる斎藤慎爾さん(俳人) …

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追悼 大島渚は死なない

15日、大島渚監督の訃報を聞く。 享年80歳…。 脳出血で倒れられたのは、1996年。 一時ご回復されたとはいえ、その後17年間、 奥様の小山明子さんの看病のもとで生活されたことになる。 お二人で過ごされた17年を思うと、私は涙が零れる。 大変だったろうとは思うが、 一方で、そんな幸せな人生の過ごし方は…

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若松孝二監督が亡くなりました

新宿でタクシーにはねられた 若松孝二監督が17日夜、亡くなったそうです。 最初のニュースでは意識もあり、 大丈夫そうだったので、 すこしホッとしていたのですが…。 大好きな監督だったのでほんとうに残念です。 心からお悔やみ申し上げます。 若松さん、 いつも勇気を …

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さようなら 吉本隆明さん

吉本さんにはじめてお会いしたのは、 1983年5月、私が第七病棟に書いた 「質屋-おとことおんなの午后」の公演の最中だった。 場所は、第七のアトリエがあった東京の町屋。 アトリエ近くのお鮨やさん…。 深夜叢書の斎藤慎爾さんが吉本さんを連れて観劇にいらして、 終演後、私に引き合わせてくださったのだ。 正直に言…

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吉本隆明さんが亡くなりました

わたしがもっとも影響を受け、 そしてかぎりなく敬愛してきた吉本隆明さんが亡くなった。 享年87歳。 長いこと、いつも吉本さんのお体調を気にしたきたけれども、 天命を全うされた想いがあって、静かに哀しい。 とりあえず「日刊スポーツ」のニュースを引用しておきます…。 文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大…

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憶えてますか、天井桟敷と状況劇場の渋谷乱闘騒ぎ

6月27日、「新漂流家族」の楽日…。 石川マキ、四谷シモンさん、十貫寺梅軒が観にきてくれたので、 芝居がはねたあと、 安保由夫さんがやっている(新宿)2丁目の「ナジャ」に行った。 ひとしきり飲み食いすると、 「哲ちゃん、めずらしいもの見せてあげる」と、 安保さんが奥の棚からひっぱりだしてきたのが、 なんと、これ…!…

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追悼 加藤一也

9月11日(2010年)15時03分、加藤一也が永眠した。 享年50歳…。 8月30日に気管支喘息の発作を起こして倒れ、 入院して集中治療を受けていたが、 そのまま帰らぬ人になった…。 喘息は子供のころからの持病で、 荒山昌子(元転位・21)によれば、 近年、その喘息で入院していたこともあるという。 …

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追悼 つかこうへいさん

7月12日、 つかこうへいさんの訃報を聞いた。 亡くなったのは7月10日。 千葉県鴨川市の病院だという。 知らなかったのだが、 今年のはじめころ、肺がんであることを告白し、 療養中だったらしい。 つかさんとは同世代で、 ずっと同時代を過ごしてきたにもかかわらず、 なぜかまるで縁がなかった。 も…

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内村健治さん

2月17日。 午後、電話で 高校(宮崎大宮高校)の演劇部の先輩、 内村健治さんが今朝永眠されたという訃報をいただいた。 聞くまで知らなかったが、昨年ガンで入院。 一時退院したものの、今年になってからまた体調を崩し、入院。 そして、そのまま亡くなったということだった。 享年65歳。 …

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梅軒、ありがとう

12月22日の「僕と僕」の打ち上げをかねた 忘年会に、十貫寺梅軒が来てくれた。 梅軒は、状況劇場での数ヶ月先輩。 状況が1969年の夏、南下興行を行った際、 梅軒は浜松で、わたしは広島で旅の世話をし、 ともに状況劇場にさらわれた仲だ。 梅軒はその年の暮れに入団、わたしは翌70年3月に入団。 ついでだが、 今年…

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お疲れさん古田監督___ワイシャツ野球

7日のゲームを最後に スワローズの古田敦也が神宮を去った。 ファンのひとりとして 18年間、ほんとうにお疲れさま、と感謝したい。 古田は立命大、トヨタ自動車を経て、89年秋、ヤクルトに入団。 野村監督(現・楽天)に1年目から正捕手として起用され、 「メガネの捕手…

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田口ランディさんに会う

2007年9月7日 夕方から、八重洲の小さな割烹で、 田口ランディさんらと食事をした。 田口さんの文庫本「ドリームタイム」の解説を書いたので 田口さんと一緒に食事でもと、文藝春秋の担当者に招かれたのだ。 一年ほど前だったか、私がNHKBSの「週刊ブックレビュー」で 「ドリームタイム」を書評したのがどうも気…

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悪源太義平

俳優 元「演劇団」の俳優で現在フリー。 演劇団とつんぼさじきは 第二次小劇場世代といわれた時代があったが、 そのころ(70年代)でもっとも輝いていた俳優。 まっすぐに立つ姿は野田秀樹よりきれいだったし、 しゃべるセリフにはいつも 惚れ惚れとするようなチカラがあった。 ことばをしゃべる美しさを 私は彼から学んだよ…

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虻山つよし

つんぼさじき つんぼさじきの創立メンバー。 俳優としての才能は悪源太と双璧をなした。 そう言えば、酒と女が好き?なところ、 八方破れな性格なども共通してたな。 公私ともどもずいぶん世話になったが、 子どもが出来て奥さんの公子さんと 岡山へ帰っていった。 いまごろどうしてるだろう? 普通免許を取った日、 …

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海藤春樹

照明デザイナー たかが演劇、されど演劇を地でいってるひと。 「好色一代男」のとき、 西武劇場の山田さんに 「山崎さんとウマが合うと思う」 と引き合わされたのが出会い。 以来、ずっと友人でもある。 「(光をたくさん使って)劇場のヒューズを飛ばしたい」 「光って可愛想でしょ、みんなにあって当然だって思われてるもの…

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夏目房之介

漫画作家 漱石の孫。 一時期それが肩に重かったとか。 NHK番組「土曜倶楽部」の 博多スタジオでの収録中のこと。 夏目さんがコーナーを担当していると、 夏目さんの目の前に置いてあるピアニカ?が 突然ひとりで勝手に「ポロロン」と鳴った。 目ん玉ひん剥いて見てると、 数十秒後、またひとりで勝手に鳴ったのだ。 しか…

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藤田敏八

映画監督 大好きな映画監督のひとり。 周囲が「パキさんパキさん」と呼んでいたので、 小僧の私まで「パキさん」と呼ばせてもらったのだが、 なんでパキさんだったんだろ?  髭のあるあの顔がパキスタン人みたいだったから?  こういうことって一度聞きそびれると、 結局そのままになってしまいがちだよな。 内田さんを介し…

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池田満寿夫

画家・小説家 テレビ朝日の深夜番組でなんども一緒だった。 たしか黒木香さんが一緒のときだ。 上流階級ことば?で セックスについて喋りまくる彼女に負けてなるものかと、 満寿男さん、「サドマゾ」について喋りまくった。 その話術の巧みさについ笑い転げてしまったが、 隣席に戻ってくるや、 「ね、ね、おもしろかった山崎さん…

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もんたよしのり

歌手 関西テレビの番組で 数年間ご一緒させてもらった。 若いころ、 「ダンシングオールナイト」の 大ヒットにもかかわらず大阪に帰ったのは、 どうしても東京に馴染めなかったからだ という根っからの大阪人。 いや、大阪の路地を突き抜けてさらに パパアニューギニア、東南アジア、アフリカなどの 辺境を訪ね歩く旅人 …

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泉谷しげる

歌手・俳優 悪戯好きで、根っからやさしいひと。 「好色一代男」の舞台稽古の時、 やおらノコギリを持ち出し、セットの柱を切りはじめた。 セットがいかにも「はりぼて」といった感じで 気に入らなかったのだ。 かく言う私もそれに続いたのだが (松野さんごめん)、 これでは初日が開かないと、 照明の海藤さんに頼んで …

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木内みどり

女優 「好色一代男」を観て、 「あたしも〈うれしい〉って舞台の上で言いたい」 と言ってくれたのが出会い。 その穢れのなさに驚嘆。 「子供の領分」「エリアンの手記」 「マーちゃんの神曲」は 木内さんに書いたようなものだが、 まったくダメ出しをしないですんだ。 いつも私のことばのイメージ そのままを表現してい…

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北村想

劇作家・演出家 はじめて会ったのは 想ちゃんが19才のとき、 名古屋の七ツ寺共同スタジオで。 ひとの話を茶化しながら飄々としている、 滋賀からやってきた少年。 のように見えながら、 じつは当時から深く神経を病み、 クスリなしには生きられない男である。 七ツ寺で一緒に食べたり飲んだりしていると、 いつのまに…

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二村俊之

七ツ寺共同スタジオ 七ツ寺共同スタジオ・オーナー。 創設71、2年ころで、名古屋の大須観音にある。 いまや同市の小劇場のメッカ。 つんぼさじき時代、 ほとんど毎年のように訪れ、 一緒にメシを食った仲。 北村想さん、小堀純さん(いま大阪のジャーナリスト)、 内田栄一さん、金子正次さんらに出会ったのも この小屋。 …

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三上治

批評家 岸田賞受賞パーティの二次会での席のこと。 顔見知りがいなかったせいか、 三上さんがひとり酒場のカウンターで飲みながら、 もの静かに「インターナショナル」を歌いはじめた。 もの静かにひとりで「インターナショナル」を歌うというのが、 猛者で鳴らしたかつての全共闘のリーダー 三上治さんらしくなくて好きなのだが、 …

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