テーマ:小泉八重子
小説
幼夫絶叫
後編
小泉八重子
履歴その四
二〇〇三年(平成十五年)。大蔵、三十三歳。阪急春日野道の近くにあるプリマベーラ神戸というワンルームマンションに引っ越す。家賃八万円のそこは、裏寂れた商店街が近くにあるものの玄関の植え込みとベージュの煉瓦ふう壁面の小洒落た建物だ。
この間、追い打ちをかけるように病魔が襲う。三十四…
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小説
幼夫絶叫
前編
小泉八重子
プロローグ
「三、三、四の十っ! 今回は十万やな。十万!」
さきほどから道端で柄の悪い大男が妙子に声を張り上げる。一体何が十万なのだろう。理解に苦しむ。この男と知り合って三年余り。まさかただのセックスがその値段というわけでもあるまい。妙子は黙っていた。そういえば知り合ったのも道端だった。…
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小説
神戸寄港5
小泉八重子
二〇〇七年 四月三十日(月)晴れ
二十九日に神戸にやってきた正子と今日はともに病院にいく。正子は来るなり私への叱言を始めた。
「なんで次郎さんと対立してしまったん。けんかせんようにうまいことやらな」
「自分、それできるん? けんかもせんときれい事ではおさまらんのよ…
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小説
神戸寄港5
小泉八重子
二〇〇七年 四月二十六日(木)
午前九時五分。明石、新光病院の玄関で、白衣の田村先生が煙草を吸っていた。お互い
無言のまま、私は受付に向った。
「植山采子の入院のお願いに参りました。田村先生お願い申し上げます」
単刀直入にそれだけ言うと、受付嬢は椅子に座って待つ…
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小説
神戸寄港5
小泉八重子
二〇〇七年 平成十九年 四月二十二日(日)
今回の帰郷は痴呆の母に法定後見人をつけるのが目的だった。
法定後見人とは高齢化社会に即して平成十二年に法定化された。私たちの問題に限っていえば、母の所有する株券が近親者でも売れなくなったというのが、この制度を利用する発…
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短編
同人M
小泉八重子
ある秋の日、ソファに置いてあった携帯が鳴った。
「もしもし、ええと、あ、こ、小泉さん?」
聞きなれた男の声だ。弾みきったボールがいささかしおれた感じに戸惑う。
「ああ、Mさん」
私は答える。声の主はおよそ十余年前に散会した同人誌をともに支えた男だ。既に六十、五十八の男…
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石喰ひ日記
再会(2)
小泉八重子
平成十七年三月二十九日(火)曇りときどき雨
昨日午後九時半、ようやく連絡のとれた息子は、約束したにも拘らず本日同道しないといった。親の問題だろうといい、仕事第一だという。腹も立ち、めげたが、すぐに気を取り直して夜は眠った。
今日、九時二十一分の東海道線に乗り横浜をめざす。乗り換えた横…
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石喰ひ日記
再会
小泉八重子
声を聞かなくなってから十一ヶ月がたった。六十二歳の夫は五十六歳の妻に完全に心を閉ざしたのであった。結婚したのがおよそ三十年前だ。子供が生れた頃から不協和音がし始め、別居した。それでも夫は仕送りを欠かさず、週末には子供の顔をみるという暮しを続けた。だが、それが一ヶ月に一回になり、三ヶ月に一回とな…
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石喰ひ日記
夫を追う
小泉八重子
第1回山崎賞・最優秀賞受賞
二十七歳で結婚してからこの方、およそ三十年にわたる夫婦生活は殆ど体をなしていなかった。終りを通り越して、形だけが残っているこの状況を幽霊夫婦と名づけてもいいだろう。幻を生きるというのは楽ではない。この幻を支えているのは金である。
からだの関係は一児がうまれる…
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小説
こおろぎ
(一)深田町2
小泉八重子
幼い頃から小学校時代、病気がちだった。寝小便を初めとする心の病いとしては自家中毒があった。これは外出先で起る。眠気ではない欠伸が始まると徐々に身の置き所がなくなる。執拗な吐き気にまといつかれ、今すぐ家に帰りたくなる。だが帰った所で、寝ても醒めても座っても、一向に晴れやかにな…
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小説
こおろぎ
(一)深田町1
小泉八重子
「線路の向うはヨツや。肉屋と花屋でな。海沿いの線路はみんな未亡人の家や。旦那戦争で亡くした人ばっかりで、夜は灯り消して死んだみたいに飯喰うとる」
そう言って父はわらった。
宮前町は歩いて五分とかからない。夏でもひんやりと暗い谷…
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エッセイ
泰子の陸
岩井八重子
「円山町?」
配車係りの年配の男の顔がふっとゆるんだ。
小雨の降る十月半ばの夜だった。
雨合羽から老残の色香を漂わせ、
男は耳打ちするように私に囁いた。
「ブルガリの横入って、信号渡ってごらん。その裏が円山町だから」
目の前に磨き抜かれた東急…
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短編
良介と四朗
作・小泉八重子
昭和三年、一九二八年秋、神戸。元町通りはアーチ型のすずらん灯に縁取られた無蓋の商店街であった。ハイカラな店の前では西国巡礼の坊主が思わず足を止める。「安井写真機店」の二階のカメラを抱えた鳥打帽の男の半身の看板。「太田洋服店」、「森川眼鏡店」、「もとぷら喫茶」「天…
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二〇〇七年 四月二十七日(金)
入院は午後一時半の予約である。前夜の疲労で、皆、ゆっくり休んでから車を出す。朝は紅茶だけである。元町から高速に乗り、病院近くのインターチェンジを降りた。ロッキー2という食事処に車をとめる。朝御飯も食べていなかったのでそれぞれ注文する。荒っぽい店のわりにはいい味を出していた。三人で何事もなかったよ…
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二〇〇七年 四月二十五日(水)
あさっては小学校のクラス会がある。わざわざ私の都合に合わせて日にちを決めてくれた。断るべきなのだろうが、誰かと逢いたい。保留とする。
今日は祭日で、昨日の今日だけに再び次郎と言い争う気はない。だが、うかうかしてる内に次郎のシンパである長姉の正子がやってくる。正子が加勢すれば、厄介なことになる。…
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二〇〇七年 四月二十三日(月)
朝八時に采子から電話がある。
「こっちに着いてたの? 電話なかったもんやから」
寸前で日にちを早まらせられた上に、朝早くの電話にとまどう。激鬱の采子には時間と日にちの観念が漠然としていた。心ここにあらずの声が玉音放送のようである。身分が高いのだろうか。おそらく恵まれてきたうちにこうなってきたの…
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二〇〇七年 平成十九年 四月二十二日(日)
痴呆の母は今年の四月で八十三歳になった。現在は神戸市山手にあるアクティブライフというグループホームに入所している。
八年前の一九九九年、平成十一年三月二十日、同じく痴呆だった父が死んだ。病いに倒れたのは五年前で、終りの二年間は痴呆となり、食べ物を喉に詰まらせ肺炎でなくなった。春浅い…
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エッセイ
先生が倒れて
小泉八重子
先生が倒れて、報せを受けた久保さんが私に電話してきた。四月二十二日の教室が始まる二、三日前だった。先生は両耳が聞こえなくなり、両目が痛み、先週末に即入院の診断を受けたのだという。
「金曜日に入院て言われたらしいわ。それでね、先生は自分では脳腫瘍やて思うてはるみたい」
久保さんはまるで隣…
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