扇田昭彦さんの思い出

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22日夜、扇田昭彦さんが亡くなった。
扇田さんに初めてお会いたしたのは、まだ学生だった頃の1969年夏だった。
状況劇場が日本列島南下興業を行った時、記者として同行されていたのだ。

写真は高円寺で扇田さんの出版パーティを行った時のものである。
この時わたしがスピーチで「南下興業の時に状況劇場に拉致されたのは
私と十貫寺梅軒でした」と言ったら、すかさず扇田さんから「山崎さん、
わたしもだよ。三人だよ」と声が飛んできて驚いた。あ、扇田さんも
身内(座員)のつもりだったんだと知り、ひどく嬉しかったものだ。

スズナリが30周年記念としてわたしの「うお傳説」の公演を行った時、
終演後、舞台上で扇田さんと一緒だった。
扇田さんには「うお傳説」をはじめ幾つも劇評を書いて頂いたり、
演劇史の中でわたしのことに触れていただいたりしたが、その時、
扇田さんはごく個人的なことを話してくだすった。「うお傳説」を観た当時、
じつは自分も「家庭の事情」(家庭内争議と離婚)の下にあり、それもあって
感銘を受けたというのである。わたしは30年目にして初めて知る扇田さんの
事実に驚いた。劇評は当然嬉しいが、そうした個人的な観劇体験には
また別の嬉しさがあるものなのだ。

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あれはいつだったか、またなぜそんなことになったのか記憶にないが、
何かの集会の帰途、扇田さんと渋谷の線路脇の屋台で二人きりで
飲んだことがあった。その時、扇田さんはポツリと学生時分のことを
話してくださった。本当は小説を書きたかったのだが、病気(結核)になり、
それを機に道を変えることにしたのだ、と。その時のほんの少し寂しそう
だった扇田さんの表情はいまなおわたしには忘れがたいものがある。

これもいつだったか記憶にない。やはり酒の席だったが、
野田秀樹以降の作家、劇団にはもう思い入れができない、それでも
書かなきゃいけない、と寂しそうに話してらしたこともあった。
その辛さはものを書く人間は誰しもわかることだろう。

扇田さんは60年代後半以降、誰よりも優れた同時代演劇の同伴者であり、
また牽引者のひとりだった。扇田さんなくして小劇場を語ることは
困難だった。同時代を生きたものとして感謝の言葉は言い尽せない。
扇田さん、心から感謝しています。
ごゆっくりとお休みくださいますよう。

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●以下、「朝日新聞」サイト版より転載
約半世紀にわたり、日本の現代演劇の最前線を紹介し続けた演劇評論家で、元朝日新聞編集委員の扇田昭彦(せんだ・あきひこ)さんが、22日午後9時1分、悪性リンパ腫のため東京都小平市の病院で死去した。74歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は演出家の長男拓也さん。
東京都生まれ。朝日新聞記者として、1960年代後半に興った実験劇運動である「アングラ演劇」以降、大きく姿を変えていった現代演劇を、その作り手たちに並走し取材。同時代の社会の中に演劇を位置付ける記事や劇評を書いた。
芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した88年の「現代演劇の航海」をはじめ、「日本の現代演劇」「唐十郎の劇世界」「蜷川幸雄の劇世界」「井上ひさしの劇世界」など多くの著書がある。
静岡文化芸術大学や早稲田大学で教壇に立ち、2003~06年には国際演劇評論家協会日本センター会長も務めた。

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