文化座「旅立つ家族」を観た
10月12日、
池袋の東京芸術劇場で文化座の「旅立つ家族」を観た。
書いたのは金義卿という韓国の作家。
演出は新宿梁山泊の金守珍。
物語は、韓国の画家・李仲燮(イ・ジョンソプ)を描いたもの。
李仲燮については下記に簡単に紹介しておく。
作品は、上手に李仲燮の妻(山本方子)が現れ、
いまは亡き夫李仲燮のことを物語っていく形式を採っている。
金守珍の演出は蜷川幸雄の影響が大きいのだろうか、
いかに視覚的に見せていくかしっかり計算されているので
別段何も言うことはないのだが、演劇は俳優である。
俳優でほぼ舞台の出来は決定される。
簡単だ。
俳優がいればあとは何もなくても劇は成立するからである。
文化座のその俳優が正直ひどい。
想定内にはあるものの、ここまで俳優が壊れてるのかと愕然となる。
まるで4トントラックにでも押し潰されたかのように
私はただ客席の椅子に蹲っているほかないのだ。
こう呻き声を発しながら…。
原発処理やフクシマ問題について怒りを露わにしているひとたちは
たくさんいる。
阿部という世にも救いがたい男に怒り心頭に達しているひとたちも
たくさんいる。
なのになぜこんなにひどい俳優たちを見て、
こんなに救いがたい舞台を見て怒るひとはいないのだろう。
5000円も6000円も払っているのに、と…。
笑われても構わないが、
原発やフクシマ問題、阿部問題とまったく同じように、
この舞台の俳優たちの演技は私にとっては大問題なのである。
死活問題なのである。
だってこの俳優たちの自己批評性のなさは阿部なる男とまったく
同じな訳なのだから。
この歳になると、
何を言ってもわからないひとはわからないのだ、
言うだけ空しい、
いや、言えば言うほど精神的デメージを受けるのはこっちだ、
立ち上がれなくなるのはこっちだ、
ということだけはわかってきたが、
それでも気力を振り絞って言わないと後続の者たちに申し訳ない気持ちに
私はどうしても襲われる。
まったく因果な性格だと我ながら死にたい気分になる。
すっぱり芝居から足を洗えば解決するのかもな。
文化座の俳優の皆さん、一言だけ言っておきます。
あなたがいま喋っている言葉はあなたが書いたものではありません。
金義卿さんというあなたではない「他人」が書いた言葉なんです。
あなたの言葉ではなく金義卿さんの言葉なんです。
そのことがどういうことかわかりますか。
緑魔子という俳優は
かつて一緒にやっている若手俳優にこう言って泣きました。
私は目撃しました。
「私は、私が喋る台詞は、作家が私にくれたプレゼントだと思ってるの。
だから私は、台詞は一語一語、大事に大事に喋ることにしてるの。
みんな、どうしてそう思えないの?」
緑魔子さんは、作家の贈与にたいして
対抗贈与をしようといつも心掛けているということです。
言葉に対する、他人に対する態度がすでにもうみなさんとは
まったく違っているのです。
私は緑魔子さんのような心を持っている者しか
俳優と呼びませんし、尊敬もしません。
俳優の起源は巫女だと古来から言われてます。
巫女とは神です。神の言葉を語る者の謂れです。
神の言葉だから聞くものは、
いまで言えば観客はとてもありがたい言葉だとして聞いた訳ですが、
あなたたちの語る言葉は神の言葉ではありません。
ただのゴミです。
■李仲燮(イ・ジョンソプ)
1916年に北朝鮮の元山(ウォンサン)の富農家に生まれた。
5歳の時に父親が他界。子供の頃から絵がうまかったと言われている。
1935年、日本へ渡り帝国美術学校西洋画科へ入学。
1936年、文化学院美術科へ入学。ピカソやルオーに心酔。
そこで後に結婚した山本方子に出会う。ちなみに山本方子の父親は
三井財閥企業の役員だったという。
1943年、太平洋戦争が激しさを増し、故郷・元山へ帰る。
1945年、山本方子が韓国を訪れ結婚。朝鮮名は李南徳。
1950年、朝鮮戦争のため家族ともども釜山へ避難。難民収容所で暮らす。
1951年、済州島(チェジュトウ)へ移り住む。
1952年、結核に冒された妻と栄養失調の子供たちは日本へ帰国。
1953年、日本へ渡り家族に再会。1週間ほど滞在。
1956年、食べることを拒みはじめ、清凉里脳病院に入院。退院するが
すぐに西大門赤十字病院に再入院し、栄養失調と肝炎により他界。
池袋の東京芸術劇場で文化座の「旅立つ家族」を観た。
書いたのは金義卿という韓国の作家。
演出は新宿梁山泊の金守珍。
物語は、韓国の画家・李仲燮(イ・ジョンソプ)を描いたもの。
李仲燮については下記に簡単に紹介しておく。
作品は、上手に李仲燮の妻(山本方子)が現れ、
いまは亡き夫李仲燮のことを物語っていく形式を採っている。
金守珍の演出は蜷川幸雄の影響が大きいのだろうか、
いかに視覚的に見せていくかしっかり計算されているので
別段何も言うことはないのだが、演劇は俳優である。
俳優でほぼ舞台の出来は決定される。
簡単だ。
俳優がいればあとは何もなくても劇は成立するからである。
文化座のその俳優が正直ひどい。
想定内にはあるものの、ここまで俳優が壊れてるのかと愕然となる。
まるで4トントラックにでも押し潰されたかのように
私はただ客席の椅子に蹲っているほかないのだ。
こう呻き声を発しながら…。
原発処理やフクシマ問題について怒りを露わにしているひとたちは
たくさんいる。
阿部という世にも救いがたい男に怒り心頭に達しているひとたちも
たくさんいる。
なのになぜこんなにひどい俳優たちを見て、
こんなに救いがたい舞台を見て怒るひとはいないのだろう。
5000円も6000円も払っているのに、と…。
笑われても構わないが、
原発やフクシマ問題、阿部問題とまったく同じように、
この舞台の俳優たちの演技は私にとっては大問題なのである。
死活問題なのである。
だってこの俳優たちの自己批評性のなさは阿部なる男とまったく
同じな訳なのだから。
この歳になると、
何を言ってもわからないひとはわからないのだ、
言うだけ空しい、
いや、言えば言うほど精神的デメージを受けるのはこっちだ、
立ち上がれなくなるのはこっちだ、
ということだけはわかってきたが、
それでも気力を振り絞って言わないと後続の者たちに申し訳ない気持ちに
私はどうしても襲われる。
まったく因果な性格だと我ながら死にたい気分になる。
すっぱり芝居から足を洗えば解決するのかもな。
文化座の俳優の皆さん、一言だけ言っておきます。
あなたがいま喋っている言葉はあなたが書いたものではありません。
金義卿さんというあなたではない「他人」が書いた言葉なんです。
あなたの言葉ではなく金義卿さんの言葉なんです。
そのことがどういうことかわかりますか。
緑魔子という俳優は
かつて一緒にやっている若手俳優にこう言って泣きました。
私は目撃しました。
「私は、私が喋る台詞は、作家が私にくれたプレゼントだと思ってるの。
だから私は、台詞は一語一語、大事に大事に喋ることにしてるの。
みんな、どうしてそう思えないの?」
緑魔子さんは、作家の贈与にたいして
対抗贈与をしようといつも心掛けているということです。
言葉に対する、他人に対する態度がすでにもうみなさんとは
まったく違っているのです。
私は緑魔子さんのような心を持っている者しか
俳優と呼びませんし、尊敬もしません。
俳優の起源は巫女だと古来から言われてます。
巫女とは神です。神の言葉を語る者の謂れです。
神の言葉だから聞くものは、
いまで言えば観客はとてもありがたい言葉だとして聞いた訳ですが、
あなたたちの語る言葉は神の言葉ではありません。
ただのゴミです。
■李仲燮(イ・ジョンソプ)
1916年に北朝鮮の元山(ウォンサン)の富農家に生まれた。
5歳の時に父親が他界。子供の頃から絵がうまかったと言われている。
1935年、日本へ渡り帝国美術学校西洋画科へ入学。
1936年、文化学院美術科へ入学。ピカソやルオーに心酔。
そこで後に結婚した山本方子に出会う。ちなみに山本方子の父親は
三井財閥企業の役員だったという。
1943年、太平洋戦争が激しさを増し、故郷・元山へ帰る。
1945年、山本方子が韓国を訪れ結婚。朝鮮名は李南徳。
1950年、朝鮮戦争のため家族ともども釜山へ避難。難民収容所で暮らす。
1951年、済州島(チェジュトウ)へ移り住む。
1952年、結核に冒された妻と栄養失調の子供たちは日本へ帰国。
1953年、日本へ渡り家族に再会。1週間ほど滞在。
1956年、食べることを拒みはじめ、清凉里脳病院に入院。退院するが
すぐに西大門赤十字病院に再入院し、栄養失調と肝炎により他界。
この記事へのコメント
1.お腹から声を出す。
2.文脈をたどる。
のど声で意図的な声を出して作った芝居をしないこと。
文脈をキチンと把握して作者が書いたセリフをキチンと言うこと。
というような事を言っているようなのですが哲さんの感想を聞きたいです。
最近のシェイクスピアシアターの芝居は
まるで能の舞台を観ているかのように静かです。
演出も哲さんと同じように非常に激しいと聞いています。
私にはあまりに共通する点があるので両方の芝居を好きな自分としては哲さんの出口氏に対する感想を聞きたかったのです。
これも共通していますね。
2年ほど前でしたか、佐野史郎はが見に行き、面白かったと報告してくれました。
今、12月公演のハムレットの稽古真っ只中だと思います。
12月公演のハムレットの稽古真っ只中だと思います。
てつさんの俳優批判が、もっと文化座全体の演技に匂うものを指すのか、「これを許すとすれば文化座全体の問題だ」と感じさせたある場面の故のコメントなのか、想像たくましくしましたがやはり絞れず、つい書き込みをした次第。(強いて回答を求めずです)