からだでする「会話」  西牟田希

画像      レポートエッセイ

     からだでする「会話」
     〜「空気」から「からだ」へ〜

               西牟田希



『自分の話』しかできないひとたち

「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」という本がある。
手に取った方はがっかりされたかもしれない。
「自分の話ばかりする人」について書かれていないからだ。
書店の本棚に戻された方に、こんな経験があるかもしれない。

社員食堂で、三人の女性が昼食をとっている。
Aさん(三四)、Bさん(二五)、Cさん(四一)の会話。

A「昨日、スポーツクラブに入会して、」
B「へえ、この間、言ってましたよね、」
C「私、小学校のとき走るのが速かった」
A「・・・マシントレーニング体験というのを」
C「木登りとかもしてて。いつも父親に『山に行くと危ない、この子は男の子みたいだ』って言われててー」
A「・・・」
B「・・・へえ、木登りですか。私の家はマンションで、登れる木が」
C「私、今日、頭痛い。頭。昨日飲み過ぎてー」
A「・・・」
B「・・・」

「社会」距離の会話がほとんど

Cさんを妻に、恋人に、友達に選ぶだろうか。
枠からこぼれおちたCさんは、「社会」という距離を浮遊することになる。
近年、Cさんを「空気が読めない人」と呼び、数も増えているようだ。

聞けない人

北海道教育大学教授 コミュニケーション心理学の伊藤進先生は著書「〈聞く力〉を鍛える」(講談社現代新書 二00八年)で述べる。
「相手がすこしでも聞く姿勢を見せると、延々としゃべりまくる人たちもいる。
やはり、本来は話すと聞くをお互いに交換するやり取り状況であるにもかかわらず、一方的にしゃべる。相手が質問しても、それをまともに聞くこともできない。
ましてや、相手だって話したいのだなどと、思ってみることもしない。」

自分を器にしまっておけない

何故、聞けない、自分をしゃべるしかないのか。
伊藤先生に伺った。
「自分の話しかできない+聞けない人」は、人間的に未成熟で、「自分」(「自己」「セルフ」「自我」)が未発達な人です。
「自分」が十分に発達していれば、さまざまなことを「自分」という器の中に容れておくことができます。

器から出し入れができない

逆に言うと、「成熟した自分」というのは、さまざまなものを容れておくことのできる器だということですね。
それに加え、必要に応じて、器からの出し入れができ、上手にコントロールできる。。
自分のことにしても、それを器の中にしまっておける。
他の人にやたらと話さなくても大丈夫なんです。
でも、器がちゃんと出来てないと、自分のことに関することを器の中にしまっておけない。そこで、相手かまわずしゃべることになるのです。

認めてもらわないと不安

「また、そういう人は、自分のことを認めてほしいというモティベーションがとりわけ強いんですね。
「自分」が確立していないので、周りから認めてもらえないと不安になるのです。
だから、自慢話的なことを話して自分を大きく見せたり、自分のことや自分の関心事ばかりしゃべりまくるのです。」(書簡インタビュー 二00九年三月二十三日)


文学からみた背景 
自然主義から自分主義へ


著作『恋するたなだ君』でスリップしていく会話を小説に描く作家藤谷治氏は語る。

自分が大事である

文学も影響の一端を担っている、と藤谷氏は言う。
「明治以降、自然主義文学において、本当のことを書く、という文学のあり方が現れた。
本当のことを書くために自分のことを書き始めた。
平成に入り、「近代文学は終わった」と言われる。
つまり、次に、大江健三郎は、吉本隆明の書くことが社会に影響力を持たない時代になった。
自分が大事であることが、社会に浸透しきったため、逆転現象が起こった。
大事なこと=自分、大事ではないこと=自分以外という価値観が日常レベルまで浸透しきった」
 そのため、相手に対する「エチケット」として、会話をつづける意志がなくなったのでは、と語る。

ユーモアの欠如

ユーモアとは、自分も社会全体から見た一要素、それを見る自分がいます、ということ。
例えば、「俺はチェロを弾けて小説が書ける、もてるはずなんだが・・・俺はおなかがでている」。
相手の視点を持っている、ということはコミュニケーションをする意志である。

 
高校生の聞く、話す
空気を聞く『エコー』会話


国語リスニング試験

聞けない、を個人で見た場合、いつごろから始まっているか。 
高校入試問題に「国語リスニング試験」がある。
約五分の説明文や会話文を音声で聞き、内容の正誤を選択肢で選ぶ。
現在、青森、島根、岡山、山口、佐賀、鹿児島、沖縄、千葉、秋田9県が公立高校入試で採用している。東京都も導入を検討し、全国の私立高校も順次取り入れている。
導入を決めた背景として「聞けない」という現場の声がある。
「岡山県備前市立伊里中学校で国語を教える小田洋子教諭(46)は、人の話を注意して聞けない生徒が10年ほど前から目立ってきたと感じている。
教科書の黙読を指示した直後に「何やったらいいんですか」と尋ねてきたり、時間割りの変更を伝えても「どう変わったんですか」とすぐに聞き返したり。」(朝日新聞朝刊二〇〇八年一月二十日)

国語リスニング試験の正答率

平成十三年度から高校入試に取り入れている、私立中央大学杉並高等学校で国語を教える大館瑞城(おおだてみずき)教諭(三四)に伺った。
「実際、正答率は高い。
というのは、受験という場での集中力のため、聞き取れてしまう。
選択肢を読み上げ、ア、イ、ウ、エから選び、他の人が丸をつける音まで聞こえてしまう。」と語る。

教室で「聞けない」状況はおきているか

同校出身者である大館教諭は、授業をきかないのは昔も今も変わらない、という。
よく一般の人から、「他人を見下す若者たち」(速水敏彦 講談社現代新書二〇〇六年)をひいて今の生徒が「自尊感情」「自分以外はバカ」にして話を聞いてないのではと聞かれる。
実際は「友だち地獄」(土井隆義 ちくま新書二〇〇八年)が現場に近い、と教員同士で話している。

優しい友だち地獄

土井氏は、教室の人間関係を「優しい関係」と呼ぶ。
「他人と積極的にかかわることで、相手を傷つける」と同時に
「自分が傷つけられてしまうかもしれない」ことを恐れている。
「薄氷を踏むような繊細さで相手の反応を察知しながら、自分の出方をきめていかなければならない緊張感が絶えず漂っている」とある。

空気が読めるかという査定

大館教諭は、教室にKY(空気読めない)という緊張感が漂っているという。
生徒たちは一日に数十件メールでやりとりしている。
電話すると、相手の空気をこわすことになり、「あいつは空気が読めない」ことになるため、メールにしてレスを待っているという。
また、相手の空気に割り込まない「気遣い」と矛盾して、「即レス」が基本という。
即時に返事がないと、送信者から「空気が読めていない」という査定になる。

他人のひとりごと巡回ノルマ

メールの他に、クラスの女子は半分くらい、「リアル」を「巡回」しているという。

「前略プロフィール」に代表される、名前、年齢、生年月日、任意の自己紹介サイトがあり、顔写真をのせることもできる。これを通称プロフという。

生徒同士、携帯番号とメールアドレスを交換する際、プロフIDもつけるという。
プロフに「リアル」がリンクされている。
リアルとは、一行単位のブログのようなもので、「今日、ユニフォーム注文」「バス遅れた」など、一行ひとりごとが書かれる。
アクセスした人は、一日三十件近くのひとりごとから、引っかかるところをあげてコメントしている。
また、友達グループリンク集を巡回して、レスを書き込む。
レスは真面目なものはタブー。
軽くつっこみ程度でおさめないと「空気」のコードにひっかかる。

何人がアクセスしたか手元で見ている

生徒に聞くと「読者を想定している」という。
何人が自分のリアルにアクセスしたか、手元でチェックしている。
それが「聞いてもらっているという実感」と語る。

グループの空気を読むことに傾注

「リアルがなければどんなに楽か・・・」
とある女性徒が言った。
友達グループの大量のリアルを巡回し、コメントをつける負担は相当である。

大館教諭は、「年配の先生方など、見たことがない人は驚くかもしれないが、彼女らにとってふつうのこと」という。
負担は負担だが、テスト前、携帯を切っている生徒もいる。
グループ以外は「その他大勢」という扱いで、名前も知らない人がいる。

また、対面の会話を「モードが違う」とし、メールのやり取りは学校に持ち越さないという。
対面の会話は、「普通の女の子のおしゃべり」になっている。

秋になっても名前を知らないクラスメイト

都立高校で英語を教えるウエノ教諭(48)は、九月に、ある生徒に「(同じクラスの)タナカ君に伝えておいて」というと、
「え? 誰ですか」という。
当高校は、一学年六クラスが二棟に別れている。
一年生のときに昼食をとる小グループのまま、三年間通すという。
また、休み時間にそのグループ内で一日数十件メールで連絡をとりあっている。

アルバイト先に長くいたがる

生徒のアルバイトの時間が増えている。
「お金の問題ではないということに気がついた」とウエノ教諭は語る。
クラスで、いてもいなくても気にされない。
しかし、仕事場では、名前を呼ばれ、ひとりひとり役割がある。
遅刻すれば叱られるし、がんばればほめられる。
アルバイト先に居場所をみつけているのでは、と言う。

テレビをみている顔

「話をきいていない、昔も今もかわらず、割合の変化は感じられない。
ただ、表情は違っている」という。
追試を受けないと留年するという生徒指導のとき、
生徒の顔をみて、「テレビを見ている顔」だと思った。
「自分に緑色の巻き戻しボタンがついているようだった」と教諭は語る。
そういうとき、「ね、」など、肩にふれると、おどろいて表情がもどるという。

ひととコトがくっついて記憶にのこる機会の激減

従来、生徒は生徒の話を聞くもの、とウエノ教諭は語る。
生徒が発表し、それを聞く経験が減っているという。
それは「小学校から始まっている」という。
小学校では、「学校選び」の視点から、「教科書の何ページまで進んだか」を各校で進捗比較されている。
教員は、一ページ一ページを必死になってすすめている。
そのため、自由研究など、準備が必要な科目の時間がけずられている。
例えば、「朝顔を咲かすのに失敗したヤスオカくん」のように、
「ひととコトがくっついて記憶に残る」、という経験が少なくなっている、と指摘する。


会話とは何か
空気から「からだ」へ


空気を必死できき、自分のひとりごとに反応があるか耳をすます。
『エコー会話』ともいうべき世界。
本来の会話とは何か、
詩人 谷川俊太郎氏に尋ねた。

相手がどういう人間かで会話は始まっている

「オーラルな会話において、意味以外のものがいっぱいにやりとりされる。
相手との関係は。
初対面か、友達か、恋人か、家族か。
相手がどういう人間かで会話ははじまっている。
顔色は。
声の様子は。
鼓膜から相手の声の音をとり、感性がはたらく。
また、会話は双方向のもので、自分のことだけで成り立っていない。
あいての言葉をどううけるかで続いて行く。」

ことばで世界をつくる

劇団新転位21 劇作家 山崎哲氏は語る。
「ことばとは、自分と相手にあるものを共有するためのもの」と言ったのはソシュールである。
『これをコップとしよう』
ことばで世界を立ち上げる。
会話とは、相手が言ったことばに、自分のことばをつなげて、
複数の人数でお話をつくっていくこと。

性がこわれた人たち

二十七、八年前から、会話ができない人が増えている。
相手がどういうつもりで、自分に何を言っているのか聞き分ける力がない。
原因は、性がこわれていることにある。人間の基本は性である、としたのはフロイトである。
性の基本である家族、乳幼児期に母親との関係を学び損なったといえる。
学び損なった関係を、そのまま他人に転写している。

拒食症 過食嘔吐も同じ

八十年代から出て来た拒食症、過食嘔吐の症状も同じである。
コンビニの弁当は食べられるが、お母さんが作ってくれたものを拒否する。
同じ問題がことばでおきる。

相手の声が食べられない

相手の声、ことばがからだにはいっていかない。
会話のできないひとは、相手の声、ことばをはじき返している。
おいしいものをたべると満たされる。同じく、
相手の声、ことばで、自分の何かをみたされることができないひとは、苦しい状態になる。

会話はゆるやかなセックス

会話も性である。
二人で物語を作れたとき、会話することによっていやされる。
ゆるやかなセックスをしていることになる。

「居場所がない」と稽古場に来るひとたち

お芝居をやりたい、ではなく、居場所が無い、と稽古場にやってくる。
柳田國男はこどもの遊びを「家の中の遊び、軒下遊び、外遊び」とした。
家の中で父、母、兄弟と遊ぶ。
軒下へ出て、ひとりで遊ぶ。自分が自分と遊ぶ。
外に出ていってひとと遊ぶ。
外に出て行って傷ついてかえってくる。
家の中でいやされる、または軒下でいやす。
家と軒下が無い状態を「居場所が無い」ということばで訴える。
「芝居の稽古を通して、会話ができるようになっていく」と語る。

会話についてなんともおもっていなかった

「会話についてなんとも思っていなかった」と語るのは
劇団新転位21公演「ホタルの棺」で子供を亡くした母親役、
「僕と僕 神戸連続児童殺傷事件」で酒鬼薔薇聖斗を演じたヒザイミズキさん(30)。
転位のオーディションを受け、稽古に入った。
山崎氏が、「会話ができない『病気』のひとが増えている。これからの日本がどうなっていくか考えているんだけど、どう思う」といわれ、ピンとこなかった、という。
「お前、きいてねえよ」
「クソ芝居」
「台詞を歌うな」
「みんな、病気。」
山崎氏の稽古は激しい。
わかるまで指導はつづき、連日深夜に及ぶ。
山崎先生の稽古の言葉で
「相手のセリフをおなかにいれ、次に自分が言いたいことが生まれる」とあった。
ホタルの棺では、死んだ子供を、死んだとわからずに探し続ける車いすの母親。

相手のこころがはいってきて自分のこころが動く

それまでは、頭で考えて、声に気をつけて演じていたが、あるとき変化があった。
夫が「あのこたちは死んだんだよ」と強く言ったとき、
「夫(子供を無くした父親)のこころが、がばーっと私のこころに入ってきて、
自分のこころがぐわーっと動いた。
そのあと『どうしてあのこたちが死ななければならないの』、というセリフが腹の底からでてきた。」
「会話とは、芯ではそういうこころの動かしあいなんだと思います。」



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ご協力いただいた皆様

北海道教育大学 伊藤進 様
中央大学杉並高校 大館瑞城 様
都立高校 ウエノ 様(仮名)
藤谷治 様
谷川俊太郎 様
新転位・21 山崎哲 様
http://www5b.biglobe.ne.jp/~tetsu21/
「あさかめ」 ヒザイミズキ様
http://asakame.nomaki.jp/
写真 長広恵美子 様
http://emikonagahiro.com/photos/top.html

引用文献

「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」こっそり他人の正体を読む法則
ジョーエレン・ディミトリアス 株式会社 ソニー・マガジンズ(二〇〇一年)
「〈聞く力〉を鍛える」伊藤進 講談社現代新書 (二〇〇八年) 
朝日新聞朝刊 二〇〇八年一月二十日)
文部科学省 高等学校 学習指導要領(平成二十一年三月)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/kou/kou.pdf
「他人を見下す若者たち」速水敏彦 講談社現代新書(二〇〇六年)
「友だち地獄 『空気を読む』世代のサバイバル」土井隆義 ちくま新書 株式会社筑摩書房 (二〇〇八年)
「恋するたなだ君」(藤谷治 小学館 二〇〇五年)

参考文献

「人間会議」 交差する仮想世界と実社会 二〇〇七年夏号 株式会社宣伝会議 (二〇〇七年)

二十一年度高等学校受験用 中央大学杉並高校(推薦一般)五年間入試と研究 株式会社
声の教育社
「高等学校 新訂国語総合 現代文編」  第一学習社 

「精選現代文」 東京書籍株式会社 (平成二十年二月)
「関係の空気 場の空気」冷泉彰彦 講談社現代新書 株式会社講談社(二〇〇六年) 
「『聴く』ことの力 臨床哲学試論」 鷲田清一 株式会社阪急コミュニケーションズ(一九九九年)  
「ほめるな」伊藤進 講談社現代新書 株式会社講談社 (二〇〇五年)
「想像力をみがくヒント」伊藤進 講談社現代新書 株式会社講談社(一九九九年) 
「心理学って役に立つんですか?」伊藤進 有限会社 川島書店 (二〇〇三年)
「下流社会 あらたな階層集団の出現」三浦展 光文社新書 株式会社光文社(二〇〇五年)

「谷川俊太郎質問箱」谷川俊太郎 東京糸井重里事務所 (二〇〇七年)
「俳優になる方法」山崎哲 株式会社 青弓社 (二〇〇一年)
「少年 事件ブック 居場所のない子供たち」山崎哲 株式会社春秋社(一九九八年)
「家族のゆくえ」吉本隆明 株式会社光文社 (二〇〇六年)





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この記事へのコメント

少女A   
2011年07月02日 04:29
たいへんおもしろかった。
特に、会話も性という言葉に感じるものがありました。
私の幼いころには、まだこんなにパソコンや携帯がなくもっとなまの人との関わり合いがありました。

心のうつわは読書や映画や絵をみることでやしなわれていったようにおもいます。

心の中に酵母のようなものがあってそれが会話を豊かにしたり自分の人生を発酵させていくような気がいたします。

演劇は朗読と似ていて想像力によって人を演じるとでもいうのでしょうか・・・興味深いですね。

これからの人生、心を広くして人生を遊べると良いな~と思っています。

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