エッセイ  旅  野口忠男

エッセイ 



野口忠男

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「このご計画ですと、費用も大分かかりますし、日数も一日か二日余分になると思いますが……」
それでもいいのかという顔で係の女の子は、私の方を見ずに妻に声をかけた。
「それでも、決めたようにしたいんでしょう」
妻が私の顔を見て言った。
「ああ」
私も女の子の方を見ないで、妻に答えた。
ポスターには、にっこり微笑んでいる舞妓さんと新幹線、それに《さあ、京都に行こう!》というキャッチフレーズが、鮮やかに人目を惹いていた。
「では私どもでご主人様の案に従ってご予定をたててみます。明後日また来てくださいますか」
店の女の子は事務的に言葉を切った。
私と妻は、よろしくお願いします、と彼女に頭を下げ、駅前のJTBの店頭から離れた。
一月初旬、暖かな日曜日の午後であった。
当初、私はこの旅行の予定に五日を組んでいたが、その後の話し合いで二日余計に付け加えることになり、最終の計画では七日間に延長された。

宮崎空港についた時、空は曇っていた。
全日空機からタラップを降りて地上に立つと、妻はカメラを構えた。
「まだ、写真はいいよ」
と制止したが、
「飛行機をとりたいのよ」
と言って、妻は私に向かって急いでシャッターを切った。
一九八五年(昭和六十年)三月二十二日。
私五十五才、妻四十九才。
JTBのカウンターで相談してから二ヶ月半が経っていた。
定年まであと五年という時期が来て、妻が国内旅行をしようと言い出した。仕事と子育てに追われ、これまで二人で旅行をするというようなぜいたくな機会は新婚旅行以来恵まれていなかった。妻の提案は観光会社のパンフレットを見て、九州、または四国か中国地方のツアー旅行を利用することだった。面倒が省けるし、経済的というのが口実であった。
しかし、私の反応は彼女を驚かせた。
「実は、前から考えていたことがあるんだ」
私は、さも大切な秘密を打ち明けるような口振りで、にやにやしながら妻に言った。
「え、旅行のこと、何か考えていたの? 本当? なあに? 教えて、教えてよ」
妻には、私が旅行について何か計画があるなどとは、信じられないことだったらしい。
「俺だって考えていたさ。二人で旅行が出来るようになったら、先ずここへ行きたい、と思っているところがあるのさ」
「へえ、どこか行きたいところがあったの。知らなかったわ。あなたは旅行なんか全然興味のないひとかと思っていたわ」
「馬鹿にするなよ。仕事が忙しくてそれどころじゃなかったじゃないか。それに金もないしさ」
「ねえ、どこに行きたいの? 九州? 四国? それとも北海道かしら?」
「三カ所いっぺんにいきたいんだ」
「いっぺんにって、どことどこなの?」
妻の性急な問いに、私はじらすように答えを伸ばした。こりゃあ反対されるな、と内心恐れたせいもあった。無謀な計画と一蹴されかねない、とも思った。そのため私の口調は滑らかではなかった。しかし、思い切って切り出した。
「高千穂の峰と、出雲大社と、それに、伊勢神宮を一どきに廻りたいって、ずーっと考えていたんだ……」
一瞬、彼女の顔に、何か奇妙なものを見たというような、漠とした表情が浮かんだ。
「二人とも年を取ってきたから、これからね、あちこち行くと思うんだよ。そのー、我々の日本の旅の始まりにだね、日本の原点というか、日本の歴史の源流を見極めるというか、つまり、ここから日本が始まったんだというところをね、いや、事実はそうでなくてもさ、日本人が、ここが我々の先祖が国造りを始めた所なんだと思っている場所をね、見ておきたいと思ってね……」私は説得するような調子で彼女に喋った。そして暫くして、恐る恐る彼女の顔を見た。
「いいんじゃない」
彼女の答えは思いがけないほどそっけないものであった。
「旅の計画なんかしたことがないあなたが、初めて計画した旅だもの。いいんじゃない。のるわよ」
ニッコリと笑って、彼女は言った。

バスは、五ヶ瀬川の早い流れにそって走っていた。五ヶ瀬川の上流は高千穂峡に通じ、下流は延岡を通って日向灘に入る。川の道は古来から高千穂の峰と日向灘の東九州道を結ぶ主要なルートであり、一日に幾本も走っていない高千穂線のレールも川に沿って時々見え隠れしていた。
「とうとう来てしまったな……」
「結構流れが速いのね……」
五ヶ瀬川の流れを見ていても、二人の思いは違うのか、別のつぶやきがもれた。
バスは上流へ上流へと登っていく。
重くたれ込めた雲からポツリポツリと雨も降り出した。流れが速くなると共に、早瀬の音が窓を閉めているバスの中でも聞かれるようなり、その音にせき立てられるように、バスもエンジン音を響かせて、深い緑の山あいの道をひたすら登って行った。
そのうち、気が付いてみると、早瀬の音はいつの間にか消え、あたりは一面のガスにおおわれて、バスは白い雲の中にただよう小舟のような状態で、山道を右に左に霧をかきわけていた。深山幽谷とはこのことだな、と白一色の風景に何故か感心していた。
やがて、山頂のあたりに着いた頃かなと思っていると、視界を遮る白い靄の中を進むバスの正面に、ポッカリと明るい空のようなものが見えた。高く深い渓谷に懸かる大橋の上に出たのである。恐らく高千穂大橋だろうと思った。そして、橋の上からの光景に接したとき、私は思わず息を呑んだ。雲の裂け目から射す幾筋かの夕陽に照らされて、雲海に浮かぶ高千穂の峰々と呼ばれる広大なひろがりが姿を現したのだ。
ここだ。正にここだ。ここが我々日本人の原点の場所だと、私は何か納得するものを感じた。
雲がただよう、神々の住まい。とうとうここにやって来たという満足感のようなものが胸にこみあげてきた。

そのときの感想を私は日記に次のように記している。
「高千穂は、神々のふるさと、神々は、天(あめ)の八重雲(やへぐも)をかき分けて、この地にくだった、と云う。正にその景観を味わう」

宿の夕食は山菜と鯉料理で、お世辞にも上等とは言えない代物であった。食事を早々に切り上げて、私たちは宿の人に教わった高千穂神社の夜神楽を見に出かけた。雨は上がったようだが、道路は濡れており、外灯の少ない道は暗く、闇に包まれて天は黒々としていた。

神楽殿についたとき、神楽はもう始まっていた。客席は比較的廣い座敷で、前の方に何人かの観光客が陣取っていた。殆どが女性であった。
舞台は、恐らく檜造りであろう、畳の客席から一尺ほどの高さに、廣い床の間のようにしつらえてある。よく外で見る神楽殿と違って、すぐ目の前で演ぜられる感じが強い。ただし、低い舞台とはいえ、客席と舞台とは神社の神殿のように欄干で仕切られている。
舞台の造りは一見能舞台を思わせるが、能舞台よりは狭く、舞手は八畳位の空間で舞わねばならない。面白いのは、この四角い空間の天井に、結界を思わせるような白い帷子が四面を取り囲むように下がっており、さらにその周りに、〆なわや、御幣のようなものも吊されていることである。
また、これこそは高千穂神社の神楽殿を特色づけるものであろうか。舞台の正面奥は吹き抜けになっており、背景は外の巨大な岩石がむき出しに見えるのである。そして、始めは舞手に気を取られて気づかなかったが、中央にある巨大な岩は、正に、堂々たる男性のシンボルをあらわしていて、その黒光りをしたさまは圧巻であった。

私たちはこの夜四つの舞を見た。手力男(たじからお)の舞、螺鈿女(うずめ)の舞、戸取(ととり)の舞、それに御神体の舞と題するものである。
手力男の舞では、タジカラオに扮する舞手は白無垢の小袖を着け、白塗りの大仰な面は、金色の眼(まなこ)、太く黒い眉、大きく結んだ口と、偉丈夫の面構えで、両肩に長々と垂れた白髪も、高貴な姿を際だたせていた。下手の橋懸りを思わせる場所から登場し、右手に鈴、左手に御幣を持ち、鈴を鳴らし、御幣を高々と掲げて、ゆったりと舞って退場する。
鳴り物は、舞台上手に、榊の木を一本立てたうしろに、これまた、太鼓でない、大きなつづみを横たえ、そのうしろに、神官の装束を着けた年配の鳴物師が着座しており、笙を鳴らし、笛を吹き、鼓を打って、雅楽に似た曲を奏でていた。
鈿女の舞では、舞手は、やはり白い衣装に、赤い頭巾をかぶり、高貴な女面をつけた姿で、右手に緋色の御幣を持ち、左手に日の丸の扇子をかざして、華やかな舞を見せてくれた。古事記神話の天の岩戸に隠れた天照大神を誘い出すためのウズメノミコトの舞であろう。
ウズメノミコトに代わって、再びタジカラオが出現する。戸取の舞である。しかし先ほどあらわれた手力男と顔つきも衣装も違っている。若さを象徴するのであろうか、生気あふれる天狗のような赤い面をつけ、黒く長い髪の毛は両肩の下までたれている。衣装も、白の小袖はそのままだが、紺色のたっつけばかまをはいている。力強い仕草で、天の岩戸を引き開ける動作を見せる。
最後の御神体の舞では、イザナギ、イザナミの二神があらわれる。二人とも白い小袖に赤いたすきを掛けている。イザナギは人の良い百姓のような赤い面をつけ、イザナミはおかめの原型を思わせるふくよかな女面をつけている。
二人は桶と大きなざるを持って登場し、桶の中に入っている籾であろうか、それをざるにいれ、ざるのなかのものを二人でかき回す動作をする。終わるとざるを奉納する仕草があり、それから踊りがはじまる。踊りは単純なものだ。イザナギは杵のようなものを肩にかつぎ、イザナミはお櫃のようなものを背負い、二人で向かい合わせになってぐるぐる回り、それが終わるとお櫃を下に置いて、仲むつまじげに餅つきの動作をして見せてくれる。おそらく男女のまぐわいをあらわすものであろう。

総じて、高千穂神社の夜神楽は私が期待したものとは異なっていた。というより、期待以上のものであった。私が子供の頃に下町の神社で見てきた神楽は、おかめ、ひょっとこの女役、男役が出てきて、笛太鼓のにぎやかなお囃子にのり、男女間の機微をこっけいに見せて観衆の喝采をねらうものであった。しかし、高千穂の夜神楽で見せてくれたものは、雅楽のようなお囃子のせいもあるかもしれぬが、荘重とまではいかなくても、清潔でのびやかな印象を与えてくれるものであり、当初考えていたこっけい卑猥とは縁遠いものであった。
私はこの夜神楽を見ただけでも高千穂に来てよかったと思った。

翌日も雨は降り続いていた。幸い小雨ではあったが、私たちは旅行用の折り畳みの傘をさして歩かねばならなかった。
はじめに天の岩戸大社を訪れた。天の岩戸と称する洞穴のようなものが谷の向こう側にあり、柵を通して、かろうじてのぞき見することができた。
「これが本当に天の岩戸なのかしら……」
妻の疑問のつぶやきは、また、私の思いでもあった。
観光写真などで有名な高千穂峡はさすがに見応えのある景観で、数十メートルの絶壁下の静かな水のたたずまいは、日本の名勝の地と誇ってよいおもむきがあった。雨にもかかわらず、手漕ぎボートが一艘水の上に出てきて、私たちも乗りたい誘惑にかられたが、濡れている斜面を下まで降りていくのに危険を感じて、取りやめた。その渓谷の景観が見える場所から、二重の橋が見え、下の橋のはるかに上に仰ぐようなところに、高千穂大橋が悠然と懸かっていた。私たちが白い霧の中をバスに乗って、あの橋を渡り、この神々の地にやってきたのはまだ昨日のことだ……、私は、何となくそんなことを思った。
高千穂峡の見学を終え、道を北西にとって少し歩くと、国見ヶ丘という高千穂の峰の突端に出る。天気が良ければ阿蘇山五岳の雄大な景色が満喫できる場所であると観光案内にあるが、残念ながら、雨と靄におおわれて、眺望は零という状態であった。負け惜しみに、私は妻に、我々は今古代の神々と同じように雲居の住居を味わっているのだ、と言ってみたが、妻はしきりに、残念だわ、残念だわ、と繰り返していた。

私たちは、延岡に行く高千穂線の電車の時間を気にしながら、再び高千穂神社に戻った。昨夜神楽殿で神楽は見たが、神社には参拝していなかったからである。神社は、古い石段を登ったところの広々とした空間に、ちょこなんと座しており、周りに聳える樹齢何百年もする杉の大木にくらべて、可愛らしく、簡素なものであった。

高千穂神社の参拝をすませてから、私たちは高天原の地を探した。実は私は、高千穂旅行の目的の第一に《高天原》を見たいという望みがあった。日本の神々が住まわれた高天原とはどんな場所だったのだろう。いや、実際に古代神話の架空の地と思われる高天原という場所は存在しなくても、いにしえの日本人がここが神々が住まわれた高天原なのだ、と考えた場所はどんなところなのか自分の目で確かめてみたい、というのが私の強い願望であった。そのために私は、高千穂の旅の最後の最後まで、《高天原》をとっておいたのだ。
案内書にはのっていないので、それらしい標識に従って、妻と私は小山の奥へと向かった。あまり人が訪れて来ていないような小道を登っていくと、小さな空間で道はとぎれてしまった。そこは山の崖っぷちであった。崖の手前に小さな鳥居があり、〆なわが張ってあった。あたりは鬱蒼とした杉の木立で、地面には杉の枯葉が敷き詰められていてふかふかとしていた。頭をかがめて、〆なわに触らないように鳥居をくぐると前方にまた同じような鳥居が見えた。低い三段の石段を上がり、鳥居をくぐると三尺ぐらいの高さ幅二間四方位のいかめしい石台があり、その上にちいさな石のお宮が置いてあった。お宮の前には朱色の供え台あり、また、石台の正面には《高天原》と彫られた丸みをおびた石碑が置かれてあった。
そして、初め気付かなかったが、石台の右手横に立て札があって、次のような説明が記してあった。

「高天原遥拝所
神話仮説で云う高天原とは、もともと天上にあるところで、天孫ニニギ尊外、諸々の神々が、この高千穂の地に降臨後ここを高天原遥拝の地としたと伝えられる由である」

つまり、この山のはずれは、高天原を遙かに望んで遥拝する場所なのである。神々の住まう場所はこの地上にはなく、我々はただ遙かに仰ぎ見て頭を下げるしかないのだ。
昔の人も知恵があるものだ、と私は妙に納得した。
しかし、妻は、腹立だしげに、
「何だ、これしかないの。こんなところまで、わざわざ雨の中を苦労してくるんじゃなかったわね」
と雨に向かって言った。
日本の源流を求める私たちの旅はまだ始まったばかりである。

(平成4年4月脱稿)


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