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zoom RSS 月蝕歌劇団「英雄伝説 馬賊・矢吹丈」を観た

<<   作成日時 : 2014/12/14 05:42   >>

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12月7日、
月蝕歌劇団「英雄伝説 馬賊・矢吹丈」を観た。

場所は、中野区上高田にある
新宿梁山泊アトリエ「芝居砦・満天星」である。

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作品は
高取英が大阪市立大学の学生だった時分に書いた第二作で、
漫画「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈は
四角いリングのコーナーで試合後死んだことになっているが、
それは真っ赤なうそ。

片目を失ったのち満洲へと渡り、
記憶を失ったまま馬賊・片目のハイエナとして人々を殺戮していたという
じつに荒唐無稽な、いい加減極まりない物語である。
しかも馬賊・矢吹丈はすっかりデブ男になっていた
というのだからもう話にもならん(笑)。

といって私にかれを非難する資格はない。
たぶんかれがこの作品を書いたのとちょうど同じころ、
私も「贋作・あしたのジョー」を書き、矢吹丈は死んだのではなく
特攻隊員として鹿児島の知覧から飛び立ったのだとあらぬことを言い、
東京でテント芝居を打っていたからである。

当時は私もそんなあられもない話ばかり書いていたからである。
いまもと言えばじつはまったくその通りなのだが。(^^♪

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高取英が
矢吹丈を片目の馬賊として満洲に蘇らせたのはたぶん
当時「少女都市」「ジョンシルバー」などを書いていた唐十郎の物語に
私同様、強い刺激を受けていたからだとおもう。

わざと大仰に言えば、
過去に遡って歴史を書き換える試みを、
あるいは現実を荒唐無稽なフィクション(マンガ)の背景にしてしまえ
という演劇的な試みを企んでいたのだろう。

もっとも作品の書き方は唐十郎的な会話劇ではなく、
いみじくも集団名がそうなっているように「歌劇」としての劇である。
会話によって物語を作るのではなく、物語のイメージを詩にしていく、
歌物語にしていくという寺山修司に近い作劇法である。
ちなみに私のほうは会話劇をおしすすめていることになるのだが。

作品そのものの出来は20歳前後に書かれたものだから
いかにも若いと言えば若いのだが、その「若さ」はひどく心地いいし、
前回の「邪宗門」同様、劇の始まりのチカラを秘めていて
いまの演劇界ではまったく希少だと言っておきたい。

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が、この舞台の真価はもっと別のところにある。
この舞台を演出家・高取英が、
新宿梁山泊アトリエの劇場ではなく、劇場に付属している
カフェバーみたいになっているロビーで上演していたことだ。

写真を見ればわかるが、
舞台にあるカウンターはロビーにある本物のカウンターなのである。

客席に案内されたとたん私は「あ、やられた」と思った。
そして終わったとたん「あ、やられた」は「よくぞやってくれた」という
心からの拍手に変わった。

中野光座を失い、あちこちと小劇場を転々としてきたからというもの、
私もライブハウスや喫茶店、あるいはBARなどをそのまま舞台にしてやるのが
一番いいかなと、この1年ひそかに考えていたからだ。

欲を言えばこちら側に椅子を横一列に並べたりしないで、
客席もロビーのままの状態でやってくれればよかったのにとは思った。
普段どういう状態になっているのかわからないので何とも言えないのだが。

一言でいうと、
いまどんな劇場で演劇をやろうと、
私たちの芝居はそれこそ「劇場」の枠に絡めとられてしまう。
分厚いコンクリの箱の中に閉じ込められてしまう。
しかも見せられるのはすべて「うそ」。どこまで行ってもただのお芝居。
それが私には息苦しくて仕方がないのである。
時にほとんど死にたくなってしまうほどに。

そんな中にあってこの月蝕のロビー劇は
そういう息苦しさから私を見事に解放してくれたのである。
まるで台所でお茶でも飲みながら目の前の劇を観ているかのような
解放感に包んでくれたのである。

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そしてもうひとつ。

何度もある訳ではないが、舞台を真っ暗にし、
俳優たちが手持ちの懐中電灯を点けたり消したりしながら
自分の顔を、あるいは隣の俳優の顔を照らし出してみせたり、
みんなでマッチを擦り、数秒後には消えるそのマッチの炎の中で
劇を進行させていくのである。

このマッチと懐中電灯による「照明」は、
この数十年間で私が観た最高の舞台照明だったと言っていい。
瞬時にして目の前に闇と光を作りだしてみせたからだ。

言いかえると、いままさに目の前にひとがいて、
いままさに目の前で劇を作っていることを
これ以上はないほどリアルに感じさせてくれたのである。
これは素晴らしい劇的体験で、その演出は誉めても誉め足りないほどだ。

ちなみに少し前に観た舞台の照明は最悪だった。
舞台一面にスモッグ(煙)を焚き、何十台もの照明器具で照らし出して
いかにも舞台空間を美しく見せようとするのだが、
あれはとても照明=光と言えた代物でなかった。

舞台上にある俳優の、あるいはブツ(セットや道具)の気配を
完全に消してしまったからである。
それでなくても俳優たちがあっちの世界へ行き、
現実感を欠いてしまっているってのに。ひどいものだ。

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まだある。
漫画家として知られている田村信が出演していたのだが、
天才的とも言えるほどの演技を披露してくれたからである。

実際、かれが登場したトップシーンから
私はもうおかしくておかしくて、椅子の上で笑いを殺すのにもう必死だった。
これもここ何十年間での稀有な体験だった。

もっとも笑っているのはほとんど私ひとりで、
ほかのお客さんはほとんど笑っていなかった。

理由はたぶんはっきりしている。
私とほかのお客さんの観ているところがまったく違うのだ。

ほかのお客さんは台本のセリフがおかしい所はちゃんと笑っていたが、
私がおかしかったのはそんな所ではなくて、
田村信の存在そのもの、演技そのものがおかしくて笑った訳だ。

このことはもういやになるほどあちこちで書いてきたが、
近松が言ったように劇は「虚と実のあいだ」にある。
演技に即して言えば、
俳優は「素(実)」と「演技(虚)」の間にいなければいけないのである。

観客の側からすると、
俳優その人と、その俳優が演じている物語上の人物とが
二重になって見えていなければいけないのである。

たとえば三船敏郎が演技をしている時、
三船敏郎という人間が見えると同時に、三船敏郎が演じている人物も
見える状態である。

優れた俳優は必ずそうなっているはずである。
演劇で言えば、ひの俳優がいま間違いなく目の前にいる。リアルに感じられる。
と同時に、かれが演じている人物(虚の像)もリアルに感じられる状態に。

田村信は演劇に関して言えばほとんど素人同然なはずなのに、
見事にその「虚と実の間」に立ってみせていたのだ。

私は少し普段の田村さんを知っているのだが、
演技している田村さんと、演技をしていない素の田村さんが同時に見えて
おかしくておかしくて仕方がなかった訳だ。
もちろん普段の田村さんが少しおかしいひとだからなのだが(笑)。

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その田村さんに比べると、
ほかの俳優さんたちは虚と実の間にはいなくて、
ほとんど虚の世界に、「あっちの世界」に行ってしまっている。
余所の俳優ほどではないのが救いだが、
そのため本人自身が私の目の前によく見えてこないのである。
一生懸命やっているという以外には。
そこの点は残念ながら私から見るとまだまだである。

前回の「邪宗門」同様、みんな素直に一生懸命やってるし、
物語上何をやらなければいけないかはよく分かっているし、
またお互いに意志疎通しながらやっているので、
他劇団とは比較にならないほど私は買っているのだが、

いまのままでは田村信のようには、
みんなの喋る言葉は何喋ってるかよくわからないし、
観ている者の体の中にはうまく入ってこない。

ちなみに私は教えている学生をひとり連れていって後で感想を聞くと、
「俳優さんたちがひじょうに奇異に見えた」と言っていた。
かれは映画好きで映画をよく見ている学生なのだが、
映画の俳優と違って演劇の俳優が奇異に見えるという感想には
耳を傾けたほうがよい。

芝居をよく観ている観客や、あるいは芝居をやっているひとは
それが演技だと信じ込んでいるひとが多いから
「奇異」とは思わないだけです。

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最後に少し注文をつけたが、
月蝕歌劇団のやっていることは本当に素晴らしいので
機会があったらぜひ観てほしいと思う。


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内 容 ニックネーム/日時
ずっと、解るような解らないような思いでいた文章です。

「俳優人格の完璧性とは実人生と劇人生との区分をよく知ることでもなく、またその意識的結合をはかることでもない。二つの人生がいつも内部矛盾をはらまぬ幸福をめざすことではないだろうか。俳優の場合、自我の問題、その葛藤はむしろあいまいさの中にしか意味を見出すことはできないのだ。幸福な俳優になるか、実人生を超えるか、その選択が何よりも第一義の問題なのだ」
           寺山修司「映子をみつめる」より

山崎さんと同じ事を言ってますよね?。ヒントを頂きありがとうございました。三船主演の「宮本武蔵」にも書いてるのですが、もし良かったら解答を下さい。…(笑)
sino
2014/12/17 13:27

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