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zoom RSS 「魚と寝る女」評 佐々木峻(二松学舎大学生)

<<   作成日時 : 2014/07/18 01:57   >>

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本当の表現とは何か

佐々木峻 (二松学舎大学)


「本当に表現する」ということは湧き出るという感覚に近いと思います。
生むより生まれるといったような受け身的な意味が強いと思います。
この感覚に沿うと客や儲けを意識して作られた作品は
「本当に表現する」ということではないと思います。

「本当の表現」で生まれた作品にとくに意味はないと思います。
完全に言い切れないとは思いますが作者の欲望の塊であると思います。
食欲、性欲などの欲望に近いと思います。

欲望は「自分が〇〇したい」という感覚なので、
それ以外の意味は無いと思います。
ではその作品に意味を与えているのは何か?
それは私たちです。

そもそも意味は私たちの頭の中にあります。
私たちがそれぞれの脳内で記号に意味をつけて初めて
意味が生れると思います。

「本当の表現」で生まれた作品に意味は無いですが、
私たちからそれぞれに得体のしれない何らかの感覚を引き出す
効果があると思います。
自然と意味付けをさせてしまうと思います。

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私は『魚と寝る女』は本当の意味で表現された作品だと思いました。

この作品はとても引き付けられるシーンが多いです。
中でもラストシーンはとても印象に残りました。
一番意味がわからなかったからです。

男、ヒョンシクが森のような島に木をかき分けながら入って行く。
すると画面が変わり、女、ヒジンが裸で水に浮かんでいる。
私はこのラストに呆気にとられてしまいました。

このシーンに自分なりの解釈をつけてみると、
森のような島の森は女性のつまりヒジンの陰毛を表していて、
全体的に女性の陰部、女性器を表していると思いました。
森の中に入って行くヒョンシクの姿は、陰毛をまさぐり女性器探す、
つまり母体に戻る子どもの姿のようで
近親相姦的な気味の悪い愛や母性の包み込むような愛を
感じました。

また水に浮かんでいるヒジンの姿は
海に浮かんでいるわかめなどの海藻のように思いました。
もともと芸者遊びのわかめ酒
(女性に正座させ、太ももと陰部の間に酒を注ぐ、
酒の中で揺らめく陰毛の姿がわかめのようだったのでこの名がついた)など、
女性と海藻のイメージを繋ぐような文化はあったようです。

この作品の邦題は『魚と寝る女』なので
女、ヒジンが海藻なら魚は男を表していると思いました。
この場面は魚である男、
ヒョンシクが海藻である女、ヒジンに入って行くので、
魚が海藻に絡まっている姿にも思いました。

私はこの作品をこのように感じ、このように意味を付けました。

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監督のキム・ギドクがなぜこのような表現をしたのかはよくわかりません。
もしかしたら監督自身もわかっていないかもしれません。
しかしこのように表現したかったのだと思います。
この作品はこの表現でなければいけなかったのだと思います。
そこがこの作品の面白いところだと思います。

私は純愛を描いた作品だと思いました。
純度の高い気持ちは暴力的だと思いました。
監督がこのように思っているかわかりません。
監督から湧き出た表現を私が受け取り、意味を与えました。
それだけのことでそれがとても大切だと思います。
この作品は本当に表現された作品だと思いました。


※本論は、私・山崎が講義「演劇特殊研究」で鑑賞させた
キム・ギドク監督の「魚と寝る女」について書かれた評です。
ひじょうにすぐれた論考なので、どうぞご熟読ください。
(読みやすくするために私・山崎が改行を施しています)

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