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zoom RSS 追悼 加藤一也

<<   作成日時 : 2010/09/16 00:46   >>

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9月11日(2010年)15時03分、加藤一也が永眠した。

享年50歳…。

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8月30日に気管支喘息の発作を起こして倒れ、
入院して集中治療を受けていたが、
そのまま帰らぬ人になった…。

喘息は子供のころからの持病で、
荒山昌子(元転位・21)によれば、
近年、その喘息で入院していたこともあるという。

加藤が旧転位・21に入ってきたのは、
1984年の4月だったとおもう。
本人によると、明治学院の学生時代に、
「勝手にしやがれ」(83年6月公演)を観て、
卒業したので来たと言っていた。

小堀ちえみ、中野貴枝江らが同期生である。

小堀とは明学で一緒に芝居をやっていたが、
お互いまったく内緒で入団試験を受け、
稽古場で会って双方目を丸くしていたのを憶えてる。

84年の「ゼロの神話」で警官役で出演し、
90年の「ホタルの栖」と
91年の「ぼくは17才」で主演。

とくに印象に残っている舞台は、
「ぼくは17才」の少年役と、
「骨の鳴るお空」のシンさん役である。

ふだんから控えめで、トツトツと喋るやつだったが、
それがけっこううまく生きていて、
いまでもその姿を鮮明に思い出すことができる。

転位にいたころは高円寺に住んでいたので、
稽古が終わったあと中野でよく一緒に飲むこともあった。
徳永英明が好きで、
カラオケでよく歌っていたのを思い出す。

小堀、古瀬進、成行美智子、山田道子、青野智子、
下総源太郎らと仲がよかったのかな…?

転位をやめたあとは、
やはり転位にいた成行美智子と結婚し、
二人で「13号地」という劇団をやっていたようだ。

そのころは私も水戸に行っていたので、
また会えるようになったのは、
新転位・21をはじめてしばらく経ったころ。

公演をいつも観に来てくれたので、
たまに稽古場に呼んだり、忘年会に呼んだりしていた。

一度だけ出演を頼んだことがあり、
ちょっと稽古にも来ていたのだが、
途中、加藤の仕事の都合でどうしてもだめになった。

また機会があればと思っていただけに、ひどく心残りだ。

まったくひどいやつだよ、おまえは、
おれより先に逝くなんて、と、正直言って腹が立つ…。

成行だって可愛そうだと思わないのかよ…。

もう咳で苦しむこともあるまい。
人一倍責任感が強かったから疲れたろう。
ゆっくり休め。
また会おう…。

■加藤一也の旧転位・21出演舞台
●「ゼロの神話」 84年5〜6月 スズナリ
●「ホタルの栖」 84年11月 スズナリ
●「ホタルの栖」 85年3〜4月 スズナリ
●「水の柩」    85年11月 紀伊国屋ホール
●「1/2の少女」 89年10月 本多劇場
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●「ホタルの栖」 90年6月 スズナリ
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●「骨の鳴るお空」 91年5〜6月 スズナリ ほか
●「骨の鳴るお空」 91年10〜11月 スズナリ ほか
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●「ぼくは17才」  91年5月 スズナリ
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●成ちゃんへ
はやいものでもう1月経ちました。
まだ加藤がいなくなったって信じられませんね。
落ち着いたらぜひ稽古場へも…。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
お忙しい中、告別式にもお越しいただきありがとうございました。
今日、『骨の鳴るお空』で共演していた小林英一くんがお線香をあげに来て、山崎さんの加藤への追悼文を知りました。
泣いてばかりの毎日ですが、こうやって加藤のことを書いて頂き、加藤も私も救われるような気が致します。 
本当にありがとうございました。
成行
2010/09/20 22:33

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